お弓神事




《由緒》

八幡神社(境内社)の祭儀。起因時代は不詳ですが、由緒にもあるように神功皇后が稜威の高鞆を奉納された事に起因して始まったといわれ、後に年頭に当り一年の悪鬼を射払ってその年の平穏無事を祈る、破魔弓の一種の行事と変化して現在に至ってます。


《所役》

旧鞆町内七町が慣例により毎年輪番で奉仕し、当番町から「大弓主」「小弓主」と呼ぶ射手二名、両弓主に従う「小姓」(十歳位)・「矢取」(二〜三歳位)と称する小児夫々二名を選出する。


《概要》

【御弓譲渡式】
前日夕刻に前年度の所役より本年度の所役が弓を受け継ぐ式が行われる。

【叙位詣】
大神様から両弓主に昇殿の格式、仮の「従五位下」を授かる儀式。(現在は譲渡式に引続いて行われる)
前日夜、所役は裃で高張提灯を先頭に、飾弓・弓主・小姓・矢取の順で、総代・氏子・祭事運営委員共々に「申す申す、お弓を申す」と高唱しながら当番町内を一巡し神社に至る。社殿での祭儀には浅蜊が御供えされ(氏子も浅蜊を食する慣わしがある)、引続き勧盃式に移る。この時一同から「よーのめ、よーのめ」の掛声がかかる。終って古式に則り、仮「従五位下」の印として所役の素襖びつを受け取り町内へ帰る。

【御弓神事】
当日午後二時、神前での祭儀ののち矢場での神事が行われる。
当日時刻、所役は素襖・侍烏帽子の礼装で、前夜同様「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら町内を一巡し八幡神社に至る。午後二時神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包〔折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)〕が授与される。この時も同様に「よう飲め、よう飲め」と掛声が上がる。
神前での祭儀を終え、一同飾弓を先頭に矢場の舞台所定の座につく。互礼の後、神職二名が約一メートルの弓矢(青竹製)と直径約三十センチの的を持って矢場に降立ち、東北・東南・南西・北西・天と射て、矢場を浄める。 次に矢取は父親に手を引かれて的の下、両脇に控える。「でーかけた、でーかけた(出かけた)」の掛声に両弓主進み出て、「にーらみやいこ、にーらみやいこ(睨み)」「いーそいだ、いーそいだ(急いだ)」「せーりやいこ、せーりやいこ(競り合い)」等の掛声で作法を進め、「あーさむ、あーさむ(寒)」「あーぬく、あーぬく(温)」の掛声で片肌になり、「ねーろた、ねーろた(狙う)」の掛声と共に、先ず大弓主が早矢を、次いで小弓主が早矢を、続いて大弓主が乙矢を次いで小弓主が乙矢を射る。終って袖に手を通し衣装を整え、座に戻る。
矢取は矢を持帰り小姓に渡し、再び的の下へと走る。小姓は矢を矢筒に収め、これで一回目を終了する。 続いて二回目は小弓主から始め、三回目は再び大弓主から行い、夫々六本、計十二本を射て終了、退出する。この頃正面の大的が投げ下ろされ観衆は競って奪い合う。この的の一部をもって家内安全、疫病防除の守り札とする風習がある。






【お礼詣】
矢場での神事を終え、所役は一同と共に町内に帰り、小憩の後、裃に着替え、再び行列を整え「申す、申す、お礼を申す」と言いながら八幡神社へ参進、無事奉仕できたことのお礼と一年のご加護を祈り、神事全てを終了する。



《参考》
<飾弓>・・・高さ約二メートルの弓二張に神座を設け、松の小枝等で飾り、大弓主の方には神功皇后が甲冑をつけ弓をもつ神像を、小弓主の方には武内宿禰が幼児姿の応神天皇を抱く神像を安置。神事中は常に弓主と行動を共にする。
<素襖>・・・江戸時代、武士の礼装
<矢場>・・・南北十五間(27m)東西五間(9m)、舞台は矢場南側に高さ三尺(約1m)奥行三間(約5m)幅五間(9m)
<的>・・・・直径六尺(約180cm)、裏には、甲・乙・ム(なし)の組み文字が書かれ、勝ち負けなしの意